2012/04/02 09:15:13
おはようございます。kikoです。
今日はすがすがしいですね~~
温かくて、日差しがぽかぽかで、お日様の匂いがいっぱいしますね。
もうずっと前から時々おじゃましているのが
日経ビジネスオンライン
特にここ2年は経営とかリーダーシップとか
そういうのがよくわからなくて、答えを探りに読んでいます。
何人か、お気に入りの人がいらっしゃるのですが
河合薫さん。素敵な方だと思っています。
3月29日「オレって必要?」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120327/230311/
しみじみとしました。
もともと私は、mustが強い傾向があって
いろんな経験や勉強をするうちに
I am OK You are OK
を体感するようになりました。
まだまだmustがでることもあるけれど
でたときは、あ、今 mustだった。
必要なmustか 不要なmustか
考えるようになってきました。
で、私がべびぃちゃんと関わるのがどうして好きなのか
って、考えると
べびぃちゃんたちは
I am OK You are OK
をノンバーバルコミュニケーションでいつもフィードバックしてくれるからだな、と思います。
いやなことは、いや。
いいことは、いい。
ちゃんと表現してくれます。
自分の快不快を殺してmustで感じる、行動することはしない。
先日、快不快って私たちが推測してるだけで
本当にべびぃたちが言っているわけではないよね。
という言葉に反論ができませんでした。
でも、どうかな?
もともと快不快とか感情って
いろんな人と関わって反応を返してもらって
そこででてくるものを他人と照合して
身について言ってるものではないのかな?
同じような感情を持つ人が同じような反応を送ってくれて
ああ、これってやっぱり快なんだ、不快なんだ
って学習していきます。
と考えると
べびぃちゃんたちは、自分の快不快は素直に自分の感覚でもって発信している
それを推察する私たち側の捉え方が人によって違うかもしれない
同じ意味かもしれないけれど
大きく違うように感じています。
なので、べびぃたちは、周りがべびぃの発信するものを
そのまま、それでいいんだよ、って受け取ってくれることで
自分を肯定していく
これがずれると、迷い、自己肯定感は育まれにくい
自己肯定感も、それって何?っていわれました。
私は自己肯定感が低いと思うけど、しあわせだ、
自己肯定感が高くないと幸せじゃないのか?
これも反論できなかったな。
でも、すごい違和感でした。
自己肯定感が高くても低くても、
ある、か、ない、かが大きな差のような気がしています。
べびぃたちは、自分の反応を周りがうけとめて、こうかな、ああかな、って探ってもらえることで
これでいいんだ。
わたし、ぼくってこうなんだ、って自分を構築していく
自分がここに生きてていいんだ、っていうのも自己肯定感
自己肯定感がない、というのは自分が生きている意味がみいだせない
生きている価値がない、と思うってことなんではないでしょうか。
とすると、低い、とか高いとかを評価していること自体に
違和感があるな、と思いました。
河合さんの記事に、
――――――――――
今日はすがすがしいですね~~
温かくて、日差しがぽかぽかで、お日様の匂いがいっぱいしますね。
もうずっと前から時々おじゃましているのが
日経ビジネスオンライン
特にここ2年は経営とかリーダーシップとか
そういうのがよくわからなくて、答えを探りに読んでいます。
何人か、お気に入りの人がいらっしゃるのですが
河合薫さん。素敵な方だと思っています。
3月29日「オレって必要?」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120327/230311/
しみじみとしました。
もともと私は、mustが強い傾向があって
いろんな経験や勉強をするうちに
I am OK You are OK
を体感するようになりました。
まだまだmustがでることもあるけれど
でたときは、あ、今 mustだった。
必要なmustか 不要なmustか
考えるようになってきました。
で、私がべびぃちゃんと関わるのがどうして好きなのか
って、考えると
べびぃちゃんたちは
I am OK You are OK
をノンバーバルコミュニケーションでいつもフィードバックしてくれるからだな、と思います。
いやなことは、いや。
いいことは、いい。
ちゃんと表現してくれます。
自分の快不快を殺してmustで感じる、行動することはしない。
先日、快不快って私たちが推測してるだけで
本当にべびぃたちが言っているわけではないよね。
という言葉に反論ができませんでした。
でも、どうかな?
もともと快不快とか感情って
いろんな人と関わって反応を返してもらって
そこででてくるものを他人と照合して
身について言ってるものではないのかな?
同じような感情を持つ人が同じような反応を送ってくれて
ああ、これってやっぱり快なんだ、不快なんだ
って学習していきます。
と考えると
べびぃちゃんたちは、自分の快不快は素直に自分の感覚でもって発信している
それを推察する私たち側の捉え方が人によって違うかもしれない
同じ意味かもしれないけれど
大きく違うように感じています。
なので、べびぃたちは、周りがべびぃの発信するものを
そのまま、それでいいんだよ、って受け取ってくれることで
自分を肯定していく
これがずれると、迷い、自己肯定感は育まれにくい
自己肯定感も、それって何?っていわれました。
私は自己肯定感が低いと思うけど、しあわせだ、
自己肯定感が高くないと幸せじゃないのか?
これも反論できなかったな。
でも、すごい違和感でした。
自己肯定感が高くても低くても、
ある、か、ない、かが大きな差のような気がしています。
べびぃたちは、自分の反応を周りがうけとめて、こうかな、ああかな、って探ってもらえることで
これでいいんだ。
わたし、ぼくってこうなんだ、って自分を構築していく
自分がここに生きてていいんだ、っていうのも自己肯定感
自己肯定感がない、というのは自分が生きている意味がみいだせない
生きている価値がない、と思うってことなんではないでしょうか。
とすると、低い、とか高いとかを評価していること自体に
違和感があるな、と思いました。
河合さんの記事に、
――――――――――
誰もが価値あるメッセージの送り手になれる
だが、いかなる問題が複雑に絡み合っていようとも、もし、
彼らが「自分が存在する意味」を感じることができれば、
生きる力を失うことだけは防げるのではないだろうか。
「あなたのこと、ちゃんと分かっていますよ。あなたは大切な人ですよ」――。
そんなメッセージが、ゲートキーパーの役目を担ってくれるのではあるまいか。
――――――――――
私はべびぃってこれを一番発信している存在だと感じています。
そして、そのべびぃに発信をかえしていくことで
べびぃは生きる力をもっと高めていける
逆にべびぃたちによって、関わる大人側がこのメッセージを受け取って元気になっていく
と思っています。
これは人にいわれることではないですね。
でも、事実としてのべびぃたちの反応を姿勢や快不快で分析して翻訳しようとすることで
ここにたどりつくのではないのかな。
赤ちゃんの力は、子どもの力は本当に偉大だと思います。
この力がもっと育まれるように、私たちは関わっていく責任がありますね。
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